夫がなくなってからの日常
夫が事故で亡くなって残された悲しみの渦中にいる私と、子供。日常がガラッと変わりました。お葬式の直後は砂糖と塩を間違えて料理したり、歯ブラシが2本。そんな事だけで泣けて、車で通勤中、車内で満開の桜の並木道を見て泣けてきて。今まで買い物も家族3人で行っていたのに今は1人で重い荷物を持って、楽しそうに笑っている他の家族を見て羨ましくもねたんでいる自分が情けなくて、心の中で泣いていて。
何よりも、これから先は私一人で子供を一人前にしなくてはならない重圧に苦しくなりました。
悲しい気持ちしかない・・・
亡くなって半年くらいに、お花見しに行こうと東京まで行って屋形船や水族館に行くツアーに参加したのですが、子供と2人で行くと、逆に寂しくなってしまいました。
やっぱり他の家族は大人数で楽しそうです。心がしぼんでいくのが自分でもわかり、どうにか子供に悟られないようにするのが精いっぱいでした。その頃の写真が有りますが、顔が無の状態です。(でも子供は水族館の魚を見て感動してました。『お魚おいしそう!』←いや違くない?)
それでも子供には泣いているところは一度もみせないようにしてました。
そんな苦しんでいる時に心の隙間に入り込もうとする、新興宗教の勧誘が何件も来てたのです。弱ってる人は、わらにでもすがりつきたくなりますよね。ホントに止めてほしいです。そっとしてほしいです。2人組で大体来るんですけど、絶対話さないように玄関先で断ってました。
今後を考える
それで、いつまでもボーットしてはこの先生きていけない!と思い、これからの生活を考える事にしました。
第一に金銭面ですが、幸いにも私が正規社員だったので、それなりに収入がありました。それに遺族年金が月に8万。その他生命保険がありました。家も自分の物となって(団体生命保険加入していたので、ローンは完済されました。)家賃も無しです。子供1人を大学まで行かせるお金は何とかなりそうでした。今賃貸の方が得だと言ってる方がいますが、私の場合マイホーム購入して良かったと思ってます。
悲しみを乗り越えるために実行したこと
とにかく体が痛んでいました。30代で帯状疱疹で顔にできものが出来ていたり、耳が聞こえなくなったり、食事をあまり取らないでいたので激やせ。皮膚科、耳鼻科、内科に行き、食生活を改め、最終的に顔のシミ取りをしにエステに通い、弱った体を復活させました。
シミ取りはホントに良かったと思います、自分に自信が付きました。その時 「あきゅらいず」という化粧品と出会って素顔のまま出られるくらいの肌になれましたし、今でも愛用してます。
この不幸を忘れたい。
この悲しみをなんとか乗り越えたい。立ち直りたい。そう考えて考えて・・・考えた挙句、物を捨てることにしました。
- 最初にパパが愛用していたマッサージの機械。捨てる時は泣けて泣けて、いつもそこに座っていた思い出があるのに。収集してくださった人はさぞ驚いたでしょう。
- 自分のいらない物を捨てる。押し入れの中や部屋にあったいらない物をどんどん捨てていきました。
- パパの洋服を捨てる。これもセーターやわずかな洋服を残して捨てました。(セーターが無いと、寒いよ~って出てくるそうです。親戚のおばさんに聞きました)
- 模様替え。家具や電化製品を買い換えました。ソファー、テレビ
- クロス張替え。大分痛んでいたので張り替えました
その後の生活
ホントに少しずつ自分が立ち直って乗り越えていく感じでした。断捨離って自分が大きく変われるきっかけになります。
部屋の中が変わって、広く開けていくと自分の心にも希望の光が差し込んでくるのです。今までとは違う人になったようで、これから子供を守りながら生きていける、そんな自信も徐々についてくるものの、時折やっぱり寂しくなって、ちょくちょく実家に泊まりに行っては自分には頼れる場所があるんだ。と心の充電をしに行っていました。
母は得意料理のてんぷらを作って私たち親子をもてなしてくれて、片付けが終わると、一緒になって涙を流しながら、だまって私のぐちに付き合ってくれました。
母のおかげもあって夫を亡くした悲しみから乗り越えられました。
それにどれだけ救われたか解りません。お母さん、ありがとう。これからも長生きしてくださいね。私も母のように子供を見守っていこうと思ってます。