母というペルソナ作者について
新聞を読んでいたら、「母というペルソナ」とういう題の記事を読みました。こんな考えの人もいるのだと、自分と境遇の似ている人が同じく育児で苦しんでいたんだと、驚きと、共感を持ちましたので書いていこうと思います。
(今回参考にするのは、朝日新聞記事 「母」というペルソナです。)
筆者は小学生4年生から不登校になり、中学、高校とほとんど学校には行っていない。12歳から小説を書き始め、15歳からリストカットを繰り返す。その後20歳で文学賞を受賞するのをきっかけに、芥川賞や数々の賞を受賞するようになる。お子さんは2人。
感想
自分の子供時代
私も作者と同じく学校に行くのが嫌でした。その当時は学校に行かない子供なんていなかったので毎日ギリギリの精神力を使って登校してました。それよりも親に叱られる方が何倍も恐怖でしたので。あの頃の父親は些細な事で怒鳴ったり、せっかんしたりと学校の苦しみの方がまだましだったのです。家でも学校でも休まる場所が無く、今思えばよく大人になれたものだと思います。
自分が自分でなくなる
生きづらい子供時代でしたが救いとなっていたのは、漫画、アニメ、小説です。この世界にいると現実世界でのつらい出来事から離れられる。そういった趣味は誰しもあると思いますが、ホントに必要ですよね。筆者も小説を書くこと、読むことが自分を生かしてもらえる世界だったのですが、出産を機にそんな時間も奪われていく。
かろうじて自分を支えていた世界と自分が失われていく。モノクロな色彩の中でどんどん光が小さく、細くなって見えなくなっていく。きっとそんな感じだったのでしょう。
それでも母になれた理由
それでも私は「母」というペルソナをなんとかうまく被れたようです。というよりも、「母」という鎧を着た感じです。私は結婚して数年で夫に先立たれ、強制的にワンオペでした。無理がたたり、うつ病を発症して、毎日が崖っぷちでもぎりぎりのところで踏ん張れたのは、自分を犠牲にしても子供を守りたい、幸せにしたいという覚悟。それがあったからこそ、いろいろなトラブルや試練と戦えました。(一番下に関連記事のリンクあります。)でもそれほどまで身を費やさなければいけない育児や仕事をしても、母親だから当たり前と一蹴され、見向きもされません。母親の社会的地位があまりにも低いのでは?と思ってしまいます。お母さん達は頑張っているのに。
いつこの育児の苦労から抜け出せるのか?と誰かに問えば、「それはこの先ずっと無くならない。」まるで母親になる事が永遠の牢獄につながれるかのように言われた事は今でも鮮明に記憶していて私の心に鍵をかけ続けています。
今の私
でも最近ようやく子供にも手がかからなくなって、自分の時間が増えて、以前のように大好きな小説、漫画、アニメに没入できるようになり、あの頃の自分に戻れた感じで幸せだと思えるようになりました。もうそろそろ私も鎧を脱いでも大丈夫かなと思うこの頃です。
以下関連リンクです。
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その他参考文献